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二代目藤田悟己による現在

日清会は先代の喪に3年服した後、故尾崎清光の意思を引き継いで日清会二代目会長職に就いた藤田悟己は、行政機関に対して唯一物を言える団体として、全国各支部会員4千人を組織化し、現在も精力的に行政に対して様々な活動を続けている。

藤田悟己は、1976年頃から最上恒産の経営に携わり様々な案件を解決に導き、最上恒産内で故早坂太吉に次ぐ地位を得たことで、故尾崎清光とも懇意にしていた。藤田悟己は一企業であった最上恒産を「最上グループ」という大企業に急成長させ、故早坂太吉を「地上げの帝王」にした立役者である。

藤田悟己は故早坂太吉の構想を、多少の無茶を承知で具体化することに尽力し続けたことで、1985年、旧太平洋銀行不正融資事件で警視庁に恐喝で逮捕された。

藤田悟己は、事実はどうあれ自身が犯した罪を償うべく刑に服し、1990年3月に出所してから、日清会総本部を港区お台場に移し、留守を預かっていた副会長他幹部50名と協議した結果、正式に日清会二代目として承認を得た。

東京都内ホテルにおいて二代目就任祝いが盛大に行われ、全国から日清会と関係の深い代議士、大手企業役員や行政機関の役人が数多く出席した。これまでの仕事上、藤田悟己は渡世人筋と深い交流があったが、これからの時代はそのような業界との関係は日清会の活動にも支障があると判断したことで、交流のあった全ての人に事情を説明し、事前に理解を求めて丁重に出席を断ったため、その就任祝いには渡世人は誰一人出席しなかった。

暴対法により現在、右翼団体や同和組織が各自の趣意に沿っての活動が出来ない中、唯一日清会は行政機関に物を言える団体として活動をしている。

藤田悟己は、日清会を代議士や警察当局の刑事、大物弁護士、司法書士や行政書士等と専門知識を持っている人間との交遊関係を持つ団体に現在も成長させ続けている。

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